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2006.03.07 めそこのこと
めそが逝ってしまってから6年
何故かお猫様に縁のなかった我が家に
それは突然やって来た。

1985年6月24日。


雨の中
自宅のすぐ脇の道で
小さなフワフワがニーニー鳴いていた。

…ねこ。

私を見ると
一目散にトコトコ走り寄ってきた。
とにかく人なつこくて
少しも汚れていないし、ひどくお腹を空かせている様子でもない。

どうやら
どこぞのアホたれが
我が家に捨てていった、飼い猫が産んだ仔らしい。

よくよく見ると
可愛いというより、見事なべっぴんさん。
仔猫を見てそんな風に思ったのは
後にも先にも、この時だけだ。

その仔は、ごく自然に「うちの仔」になった。

大好きだった先代の「めそ」の名前をもらって「めそこ」。
泣いてばかりでもないのにこんな名前を付けられて
さぞかし不名誉であったことだろう。

それから再び
お猫様との幸せな暮らしが始まったのだった。


その美貌とは裏腹に
めそこはとんでもないお転婆娘に成長した。
それだけではない。
おうちのない猫さんの面倒まで見る
「姐さん」に成長してしまったのだ(^^;)

ある冬の日の事。
夜中に「めそこちゃんいるかなー」とコタツの中を覗いたら
暗闇に光るたくさんたくさんのおメメ!

次の瞬間
めくったコタツ布団から
脱兎のごとく逃げ出す、たくさんの猫さん達。
あっという間に
お勝手口のめそこ専用出入り口から姿を消していった…。

あとに残ったのは、ふたつのおメメ。
そう、めそこの…。

「アンタ達、おうちないの?
 今日は寒いから、ウチであったまっていきなさいよ。
 たいしたところじゃないけど
 お外にいるよりはあったかいわよ。」

…と
めそこが言ったとか言わなかったとか…。


そんなめそこなので
何やら、貢ぎ物(爆)も多かった。
どう見ても、近所のスーパーのゴミ箱から失敬してきたような
巨大な魚の皮やら、何かの残骸やら。

小柄なめそこがはるばる引っ張ってくるには無理のある獲物が
お庭に鎮座していることが何度もあった。

「姐さん、先日はありがとさんでした。
 コタツ、あったかかったです。」

…あのね、キミ達。
キモチだけでじゅうぶんだから…(^^;)



1986年3月7日。
別れはあまりにも突然だった。

前々日のお昼から姿が見えないめそこを探して…
探して探して探して…
やっと見つけたのは、冷たくなった亡骸だった。

めそとの別れで
あんなに憎んだ交通事故なのに。
また同じ過ちを犯してしまった無知で無責任な私。

自分の馬鹿さ加減に
そして何よりも
もっと早くに見つけてやれなかった事への後悔の念に
魂が抜けるかと思うくらい泣き続けた。

いつからそこで
ねーちゃんを待っていたの?
痛くて苦しくて「助けてよー」と涙を流しながら…。


「ごめんね、めそこ。ごめんね、許してね。
 ねーちゃんのほうがメソメソめそこになっちゃったよ…」

こんな事が書いてある当時の日記。
今でも
辛くて全部を読み返す事は出来ないのだ。




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泣く子も黙る、四半世紀以上も昔のこと。

1975年10月のある日
遊びから帰った弟が
手に「何か」を持って来た。

それが猫だとわかるまでに
結構な時間がかかってしまったにはわけがある。

何故かと言うと
それ…正確には「それら」は
小さかった弟の掌の中にすらすっぽりと収まってしまう程の
毛も生え揃っていない、まだピンク色の
ピーピー鳴くふたつの「何か」だったのだ。

ほどなく買い物から戻った母も、それを見て叫んだ。

「なんでネズミなんか拾ってくるのよーっ!」


けれど。
母は、それを「戻して来い」とは言わなかった。
今考えると、本当に偉大なことであった。

動物病院はおろか
ペットショップもホームセンターもない田舎。
しかも、スーパーで普通に猫缶などが売っている時代でもなかった。

母は
化粧品のサンプルが入っていた小さな瓶と
「たまごアイス」の空になったもので即席哺乳瓶を作り
まだ目も開かないその仔達の子育てにチャレンジしてくれたのだった。

泣いてばかりいるから
女の子が「めそ」で男の子が「べそ」。
私のそんなネーミングも
子供だったからこそのご愛敬。

「ピーピー」が「ニーニー」になって
目が開いて、ヨタヨタと歩き出して…
そんな様子は、子供心にも本当に嬉しかったものだった。


けれど
べそは、それからまもなく虹の橋を渡ってしまった。
ある日学校から帰ると
もう、庭に埋葬されたあとだった…。

あとから聞いた話によると
べそは、お便秘が酷くて命を落としてしまったそうだ。
同じ症状だっためそは
イタズラをして食べた毛糸が、お尻からちょろんと出ていて
それを引っ張った事によって命拾いをしたのだと…。

今ならば
色々と助けてやれる方法も考えついただろう。
そして
その手段もあっただろう。
けれど
本当に何も知らない、何もわからない当時の私たちであったのだ(T_T)


「めそ、お腹をこわしたからご飯をあげられない。
 かわりにカステラをあげた。」

この「ご飯」だって、本当にご飯粒のこと。
当時のそんな日記を見るたび
めそに申し訳なくて涙が止まらなくなる。


そんな劣悪な環境だったせいもあったのだろう。
決して丈夫な仔ではなかっためそ。
それでも3年と3ヶ月、私たちに幸せを与え続けてくれた。


私がコタツに座ると
まっしぐらに膝に乗ってきて甘えた、めそ。

給食で残したチーズを持って帰ると
大喜びでハグハグ食べていた、めそ。

どこで遊んでいても
窓の外に向かって「めそー!」と呼ぶと
飛ぶように帰ってきてくれた、めそ。


私は、めそに会って
猫さんと暮らす幸せを教えてもらった。
めそがいなかったら
今の暮らしなんて、ないと思う。

めそ、そして、べそ。
私の大切なファーストにゃんこ達。
知らないことだらけで
苦労ばっかりかけて、本当にごめん…。


1979年1月22日。
めそ、交通事故の為永眠。


めそを撥ねてそのまま逃げて行った車を
憎んで憎んで、憎み続けて
自分の心のバランスを取る事しか出来なかった私。

ずいぶん長い間
窓の外に向かって「めそー!」と呼んでみる事をやめられなかった。
転がるように走ってくる
白くてあたたかいかたまりが
もういないという事なんか、わかっているはずなのに。


めそ。
私に初めて出来た、大切な妹…。



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抜けるような青空を眺めて、ふと思う。
この青空の終点は、どこなんだろう。

宇宙には「果て」がないのだと
現代の科学ではそう言うけれど、本当に果てはないのだろうか。

もしかしてもしかすると
ちゃんと果てがあって
外の誰かが見たら、シャボン玉のように
フワフワ浮いているのが宇宙なのかもしれないではないか。

もしかすると
その世界の基準で考えたら、有り得ない程の小さなシャボン玉で
観測不可能・感知不可能なのかもしれないではないか。


…それなら!
もしかしてもしかすると
この世にも、観測・感知不可能な
小さな小さなシャボン玉があるかもしれないではないか!

そう
昔習った懐かしい、なんたらいう原子記号でも表せないくらいの
小さな小さな、小さな世界が。


「虹の橋」は
そんな小さな世界にあるのではないか、と…
私はそう思っている。

貴方を待っているあの仔や
貴方に再び巡り合う為に羽を休めているあの仔は
時空や次元を飛び越えた、遥か彼方にいるのではない。

今ここに
貴方のすぐそばにいるのだ。

振り向けば、肩先3センチのところに
見上げれば、オデコの上3センチのところに…
いつも貴方と共にいるのだ。

いつでも
彼らは貴方の事を見守っている。

「ニンゲンって不便だよねー
 目に見えないとわからないんだもんねー。」

そんな苦情を、ささやかに言い合いながら。



めそー!   「みゃおん♪」
べそー!   「ニーニーニー」
めそこー!  「にゃーっ」
風ー!     「うみょ?」
ちょびー!  「うみゃみゃみゃ、うなーん!」
ぽんこー!  「ばお~ん」
花ー!     「にあ♪」
シロー!    「…わんっ!」

はい、点呼終了。

さぁ
今日もいっちょ、頑張っていきますか。
オデコの上から、応援よろしくっ!




060110.jpg

リベロちょび
広大な縄張りをお見回りするのが大事な日課。

他人様のおうちの庭だろうが何だろうが
構わず通り抜けて我が道をゆく。

込み入った所に潜り込んだり
出会ったライバルとの喧嘩もしょっちゅうだったらしく
年がら年中、首輪をなくしてくる。

その度に新しい首輪に付け替えていたのだけれど
あまりの頻繁さにとうとう音をあげてしまった。
いくらホームセンターで買ってくる量販物でも
ちょっと追いつかないぞー。

そこで考えたのが手作りの首輪。
家に大量にあった文化刺繍の糸を
三つ編みにして、はじっこを糸で留める。

我ながら、なかなかの出来映えだ。

相変わらず、作っても作ってもなくしてくるので
私の趣味は、ちょびの首輪の作り溜めになった。

たくさんたくさん作って
それが、また足りなくなる事が当たり前だと思っていた。


…けれど
ちょびは、突然の発病で
たった半月の闘病でこの世を去ってしまった。

あとに残ってしまった、たくさんの首輪。
ストックしてある箱を開けるたび
涙が溢れて止まらない日々が続いた。


ちょびが逝ってしまってしばらくしたある日の事。
お向かいのKさんのおばさんが
ニコニコと道路を横断して、我が家にやって来た。

手には1本の首輪。

「これ、おたくの猫ちゃんのでしょ。
 ウチの庭に落ちてたから。」

そう言って手渡してくれた
薄汚れてしまったちょびの首輪。
抱きしめたまま、いつまでもいつまでも泣いたっけ。


ちょびの首輪。
名前と電話番号を書いた札をぶら下げた
ねーちゃんが作った首輪。

今でも処分することが出来ない
大事な大事なちょびの、首輪…。



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2005.11.04 花のこと
花…。
「はなちゃん」ではなく、「かーちゃん」。

出会ったのは2000年の7月。
近くのブックセンターで
来る人来る人に、一生懸命すり寄っていた。

ガリガリに痩せた仔猫…。
綺麗なマーブル模様の、サビ猫ちゃん。
その様子からは
以前はヒトに可愛がられていたのだろうということがわかる…。

しばらく姿が見えなくて心配していたある日
私はとんでもないものを目撃した。
マーブル模様ちゃんが、彼女よりも更に更に小さな仔猫を連れていたのだ。

仔猫だと思っていたマーブルちゃんは
あんな小さな身体でお母さんになっていたのだ。
その日から
「マーブルちゃん」の呼び名は「母ちゃん」に変わった。

しかし…。
その年は、台風の当たり年だった。
何日も何日も、どこにも姿を現さなくなった母ちゃん。
ご飯を抱えて探し回っても気配すらない。

そして、次に見つけた時には
…もう仔猫の姿はどこにもなかった…。

その翌日から
母ちゃんと私のデートの毎日が始まった。
どこにいるかわからない母ちゃんを探して
ご飯を持って近所中をウロウロウロウロ。
かなりの不審者(^^;)

けれど
とある駐車場が待ち合わせの場所に決まるまでには
さしたる時間はかからなかった。

私がご飯を持って駐車場に行くと
決まった車の下から嬉しそうに飛び出してくる母ちゃん。
こんな可愛い仔が
どうしておうちもなく過ごさなくてはならないのか…。

ある日
ハグハグとご飯を食べている母ちゃんに話しかけてみた。

「ねえ、母ちゃん。
 何にもしてあげられないけど、うちに来てみる?
 うーちゃんっていう爺様がいて
 そのせいでおうちに入れないぽんこちゃんっていう仔もいるから
 本当に何もしてあげられないと思うんだけど…
 ご飯だけはお腹いっぱい食べさせてあげられるよ。」

…なんと。
翌日から母ちゃんは我が家までご飯を食べに来てくれるようになった。
私の匂いを辿って来てくれたのだろうか。
テナントのすみっこにちんまり待っている母ちゃんを見つけた時の感動は
言葉では言い表せない程だった。


その瞬間から
母ちゃんは、私の仔になった。
野良の母ちゃんではなくウチの「花ちゃん」に。


2001年2月25日
交通事故の為に永眠。
辛い避妊手術に耐えてくれてから
たった2ヶ月後のことだった。

ご飯入れと名札をぶら下げた赤い首輪。
それと1本の猫じゃらし。
そのたった3つだけが
花ちゃんが短い猫生で得る事が出来た「アタシのもの」だった。

花ちゃん。
本当に何もしてあげられなかった。
…シャレにも何にもなりゃあしない…。

でも花ちゃん。
それでも花ちゃんはウチの仔だよ。
こんな事ほざいているねーちゃんを
花ちゃんは許してくれないかもしれないけれど。

でもね
ちょびやぽんこの分と一緒に
毎日お線香をあげる事だけは許して欲しいの…。


花ちゃん
写真も残っていない…。





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