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2008.02.10 小さな秘密
実は…
うーちゃんのおメメは左右で色が違うのだ。




ほら!







え?わからない?
では、寄って寄って~♪

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…まだわからない!?
えへへ。
実は、左右で色が変わるのは普通の時ではないのだ。

それはどんな時かと言うと…





暗闇でピカッと光る時なのだ。
フラッシュを焚いた時も同じで…。







ほらっ♪

080210c.jpg




「あっかい目~♪と みどりの目~♪」
我が家では長年
へんてこな節が付いたこんな歌が歌われている。


うーちゃんの小さな秘密、
それは
「信号機アイ」の持ち主だという事(^^;)





間違ってフラッシュを焚いた写真をネタに拾った
何とも平和ないちにち。
シアワセ、シアワセ(*^_^*)

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2007.06.07 第二の誕生日
うーちゃんには
大切な記念日が3つある。

ひとつは
お誕生日に設定した、4月1日。
もうひとつは
我が家にやって来た、7月24日。

そして最後のひとつは
「第二のお誕生日」である、今日、6月7日だ。



2003年、6月。
うーちゃんは
その前月の終盤から酷く体調を崩してしまっていた。
血液検査でも突出した異常値はなく
レントゲンでも何もわからない。

けれど
何日も何日も、ご飯もお水も口にせず
何とかお口に押し込んだササミなども
数時間してから全てケーしてしまうという有様だった。

毎日毎日輸液に通い
毎日毎日注射をし…
そんな介護人の支えは
同時期に頑張っていらっしゃった、王様いっちゃんさんの日記だった。

介護と呼べる経験などなかった当時
いっちゃんさんとひぴさまの頑張りに
どれだけ勇気をいただいてきた事か。


けれど
うーちゃんの容態は全く良くならず
体重もあっという間に半分近く。

6月6日の通院時
先生はついにおっしゃった。
「このまま輸液と注射を続けていても見込みがありません。
 最後の手段で、お薬を出します。
 これで食欲が出なかったら…方法がありません。」

今思えば
精神安定剤系のお薬で
その副作用として食欲の出るお薬だったのだろう。
祈るような気持ちでそのお薬を投薬してみたけれど
先生のおっしゃったような
「飲んだら、直後に食べ始める」という効果は
全く見る事が出来なかった。

数時間様子を見ても
お薬にはやはり無反応で、ただひたすら眠るだけ。
翌日は輸液は中断と言われていた事もあって
悲しくて悲しくて、そして不安で気が狂いそうだった。


…が。
突然、
本当に突然、奇跡が起きた。

お薬の効果とは思えないズレた時間
6日の深夜、正確には7日になって数時間のある時
うーちゃん、急にご飯に反応し始めたのだ!

何が何だかわからない介護人、
それでもただただ嬉しくて…。


あとから知ったのだけれど
それは…
いっちゃんさんがお引っ越しされた時刻の少し後だった。

何故、後から知ったのかと言うと…
当時、パソコンを始めたばかりで
「BBS」は恐いところだと思っていた介護人(恥)
いっちゃんさんのおうちには「日記」だけしかお邪魔していなかったのだ。

日記の更新がなかったので
少し後に勇気を出してポチ!した「BBS」で
いっちゃんさんお引っ越しを知った介護人。
その時の愕然とした気持ち…
そしてその時刻を知った時の衝撃は
今でも忘れる事が出来ない。


…いっちゃんさんだ。
いっちゃんさんが
「うーちゃん、まだ早いよ」と追い返してくださったのだ。

涙が出た。
良くもまあ、こんなに出るものだと思う程、涙が出た。



6月7日。
うーちゃんは、いっちゃんさんに新しい命をいただいた。
その時から今までの幸せな時間は
全ていっちゃんさんからのプレゼントなのだ。
介護人はいつもそう肝に銘じて
今でも、ひとときも感謝の気持ちを忘れる事はない。


偉大なる王様、ありがとうございます。
うーちゃん
また、第二のお誕生日を迎える事が出来ました。
明日からもまた
今日までと同じように一生懸命に生きていきます。

お空の上から
「頑張るって楽しいでしょ?ぎゃおす。」という
いっちゃんさんのお声が聞こえるようです…。





感謝のはぁと。
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... 続きを読む
19年前の本日、7月24日。
うーちゃんは我が家にやって来た。


翌日には変てこりんながらも「卯」という名前をゲットし
さらにその翌日には
まだ若かりし(爆)介護人を
トイレと砂を買うために、ホームセンターへとパシらせた。

…と書いて、頭に小さなハテナ。
何年もずっとお猫様と暮らしてきたのに
どうしてトイレがなかったのだろう…。

あうう。
それまでの仔は、みんな出入り自由だったのだ。
だからトイレはお庭だった!
なんてぇこった…。

と・とにかく。
うーちゃんと暮らし始める時には、すでに
「この仔は完全におうちの中だけで暮らしてもらうんだ」という
決意があった事を物語っている。


ホームセンターから帰った介護人
何を考えたのかトイレではなく「水切りカゴ」をぶらさげていた。
うーちゃんがあまりにも小さくて
売っていたトイレでは中で遭難してしまう…と
思ったのかどうかは定かではない(^^;)

それは2段になった、食器を置くための水切りカゴ。
下の段にトイレ用の砂を入れ
またまた何を考えたのか
上の段にはどこからか見つけ出したてきた、小さなお座布団を置いた。

そんな小さなお座布団が
何故都合良く家にあったのかも、もう定かではない。

うーちゃんは
何も教えなくてもそこをトイレとして使い
そして
上の段のお座布団でちんまりと眠った。

今考えれば
トイレの2階にベッドなんて
あんまりな仕打ちだと思うのだけれど…
うーちゃんはそこで
本当に安心したように眠っていたのだ。

おそらくは
何日も何日も、食べるものはおろか
安心して眠る場所さえなかったのであろう、うーちゃん。

その時は
「あらあら、気に入ったのね♪」と
脳天気に喜んでいたような気がするけれど
今思うと
あんな所でさえ安心したのだ…と胸が痛くなる。

土間に置いたトイレの
2階部分に敷かれた小さな小さなお座布団。
それが、我が家に来てはじめての
うーちゃんの「オイラの場所」だったのだ。


後日談として。

うーちゃんのはじめての「オイラの場所」は
あっという間に、その役目を終える事になった。
何故ならば…。

その数日後の介護人の日記には
「うーちゃんがベッドに寝に来るようになった~」という
喜色満面の書き込みが。

うーちゃんと介護人の「いつでも一緒な毎日」の
華麗なる(?)幕開けであった。





生後半年ほどのうーちゃん。やっぱり三角…(^^;)
060724.jpg

頭からニンゲンに突進し
スリスリゴロゴロごっつんこ。
しっぽはどんどん膨らんで
エキサイトすると、そのまま床に倒れ込んでウニャウニャ。

危なくて前にも後にも進めない。
母などは一度、うーちゃんを避けようとして
本気でコケた事もあった。

うーちゃんは
本当にダイレクトな甘え上手のお猫様だった。

「だった」?

何故過去形なのかと言うと
最近では滅多に、この「スリスリごっつん」を
してもらえなくなってしまったからなのだ(T_T)

いつの頃からだろう。
代わりに、うーちゃんは
シュチュエーション限定でスリスリごっつんをするようになった。

何と、その相手は
我が家で一番うーちゃんの面倒を見ないヤツ。
しかも
ソイツが「立って」テレビを見ている時限定なのだ。

普通に座っている時には見向きもしないのに
立っていると何故か寄って行く。
そして
いつもの可愛い声はどこにいったの?という程のダミ声で
盛んに訴えながらスリスリごっつんをかますのだ(笑)

何故だ、何故なんだぁ~。


諸説あるそうだけれど
頭をこすりつけてくるのは
「コレ、オイラの!」という意味もあるそうだ。

すると
介護人はとっくにうーちゃんの「オイラのもの」だから
いまさらスリスリごっつんしなくても良いのだな?

おながい、うーちゃん
そうだと言って~。





2005.08.05 行方不明事件
うーちゃんの生涯を語る時に
これは絶対にはずせない。

魔の行方不明事件。

その頃、うーちゃんもまだまだ若かった。
脱走を繰り返しては
母と介護人との三つ巴の大捕物。

敢えなく御用になる事、
何時間かして真っ黒クロスケになって帰ってくる事。
大抵は、逃げ込む先が
当時家の奥にあった製材工場の中だったので油断があった。

1993年1月8日夜。
またしても、隙を見て玄関から脱走したうーちゃん。
昼間なら徹底的に捕物となるのだけれど
真っ暗で思うように探せない。

何時間かすればいつものように帰ってくるさ、と
様子を見たのがいけなかった。
真夜中、何度も呼んでも帰ってこない。
朝になっても帰ってこない。
いくら耳を澄ませても
首輪についている鈴の音も聞こえない。

パニックになった介護人は
その日1日、クタクタになるまでうーちゃんを探し続けた。

今なら、もう少しまともな知恵もありそうなものだけれど
その時は本当に何も知らなかった。
当時ネットワークのあった小中学生に
「見かけたら教えて」と頼むくらいが精一杯で
ただただ、うーちゃんの姿を求めて一人で彷徨っていた。

次の日も、その翌日も
北風ピープーの中、一日中探し続けた。
その時の日記には、こんな事が書いてある…。

「うーちゃんを返してください」
「うーちゃん、帰ってきて、お願い」
「他になーんもイラナイから帰ってきて」

いなくなって5日目。
お向かいのSさんが、朝、うーちゃんを見かけたと
夕方になってから教えてくれた。

無事だったのかという安堵感と
どうして戻ってくれないのかという悲しい気持ちでいっぱいになった。

そして、その翌日、6日目。
中学生のひとり、Fちゃんがニコニコしながら
「うーちゃん帰って来たでしょ」と言ってきた。

まだなの、と答えるとびっくりしている。
何故ならば…。
前日の朝、Fちゃんが通学途中、
我が家の近くでうーちゃんを発見したのだそうだ。

「うーちゃん」と呼ぶと寄ってきたので
その時かじっていた(爆)あんぱんをひとかけ振る舞って
我が家の敷地まで案内してくれたそうなのである。

ああ、Sさんが「見かけた」と言った話と一致する…。

なのに。
なのにうーちゃんは戻らない。

また、泣きながら捜索の日々。

その翌日には、近くの小学校にいたという情報が
小学生チームから入ったものの、情報が遅くてどうにもならず…。
学校のまわりをウロウロするだけの不審者になってしまった。

「うーちゃんは、ノラさんになっちゃったのかな」
「おウチに帰りたくなくなっちゃったのかな」
日記にはそんな文字が並んでいる。

でも
無事な姿を見るまでは、絶対にあきらめられない。
うーちゃんがいないなんて、絶対に嫌だ。


…天は我を見放さなかった…

行方不明になってから10日目
1月17日の朝。

うーちゃんは
母が雨戸を開けた途端
「ウワーオーギャーアーオーン」(日記より)と
ものすごい声で鳴きながら、家に飛び込んで来たのだった。

その声に、介護人がブッ飛び起きたのは言うまでもない。

大声で何かを訴え続けるうーちゃんを抱きしめたのは覚えているけれど
あとはもう、何が何だか…。

ガリガリに痩せこけてしまっているけれど
怪我もなく、そんなに汚れてもいなかった。
どこでどうしていたのやら…。
10日もの間、
Fちゃんが分けてくれたあんぱんひとかけで過ごしていたのだろうか。
Fちゃん、命の恩人だ…。


介護人も、ずいぶん長い事生きている気がするけれど
うーちゃんが生還したあの時より嬉しい事には
いまだに出会っていない。

その日の日記。

「うーちゃん、帰ってきてくれてありがとう。
 もうどこへも行かないでね。
 うーちゃんをおうちに帰してくれたみんな、ありがとう。
 ホントにありがとう。
 うーちゃん
 もう、あと一生、いっしょに暮らそうね。」



プクプク時代。
脱走防止用のヒモ付き…(^^;)
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